投稿者:匿名希望さん
私の家から程近い場所にここはあるのですが、
その人(Aさん)は友人三人と肝試しに鈴ヶ森に行きました。
首洗いの井戸は今でこそ金網が張ってありますが、
以前は簾(のようなもの)が被せてあるだけでした。
Aさんたちは簾をどけて井戸の中の写真をとってかえりました。
その写真の現像が出来上がると同時に
三人の内Bさんが高熱にうなされました。
病院に行っても原因がわからなかったそうです。
Aさんともう一人のCさんは恐ろしくなって、
例の写真をCさんの家の神棚に飾ることにしました。
ご先祖様のご加護に期待したのでしょう。
それでもBさんの熱は一向に下がりません。
そうこうしている内に二日ほど経った日のことです。
突然の雷とともにものすごい地鳴りがし、
Cさんの家を直撃したそうです。
その時に写真の飾ってあった神棚の位牌が真っ二つに割れたそうです。
その時に雷の音が聞こえたのはこの一度っきりだったそうです。
さすがにまいってしまった二人は、その写真を持って、お寺に行きました。
住職は「なんということをしたんだ…」といって、
すぐさま二人を座らせ、読経を始めました。
読経はひたすら続きます。
夏休みの貴重な一日。
朝の九時ごろから読み始めた経が終わったのは
もうあたりが完全に夜の闇に包まれたあとだったそうです。
読経が終わると、Bさんの容態は急激に回復に向かいました。
次の朝にはすっかりとよくなったそうです。
また、Aさんは読経の最中、ずっと頭から肩のあたりが重かったそうです。
それ以来、彼らは二度と鈴ヶ森の刑場跡には
足を踏み入れていないそうです。
また、その写真に何が写っていたのかは、
どうしても教えてもらえませんでした。
さらに、このAさんは理科の先生で、根っからの科学者ですから
幽霊とか祟りとかいったものの存在を信じていません。
そんな人が話をしてくれたことですから…
ここは年に一度縁日が行われたりします。
鈴ヶ森は東海道の江戸の入り口で、ここの処刑場は
幕府の力を示すための「見せしめ」の場でした。
特に民衆へ見せしめを行う意味合いが強かったそうです。
だから、ここに眠る方々は、江戸時代の民衆のヒーロー的な方々です。
そぉっとしておいて差し上げるのが一番ではないかと、思います。