南部戦跡巡り

南部戦跡巡り 怖い話
南部戦跡巡り

南部戦跡巡り

投稿者:yoshiさん

三月五日~七日まで、沖縄へ修学旅行へ行ってまいりました。
一日目は玉泉洞へいき、カンカラ三線を買って、
ホテルで練習しておりまして、晩御飯の時の「エイサー」だの、
風呂出てからも琉舞ショーで「カチャーシー」踊って、
楽しくやっておりました。
翌日はタクシーで班別行動ということで、
ホテルから琉球村~首里城~ガラス村~海軍司令部壕と廻りました。

タクシーの運転手はMさんという人で、非常に気さくな方でした。
そして、15:30ごろに海軍司令部壕に到着し、
入場券を買って運転手さんの案内で中へ入りました。

入ったところで妙な寒気がし、出た頃にはもう頭痛がしていました。

「頭いて~」
出たところの自販機ヨコの長いすで転がっていると
Mさんがこういうことを言いました。
「あなたたちぐらいの年頃の人が多かったからねぇ。
霊媒体質の人はすぐやられるね。

だいたい、ここに入ってこれない人もいるしねぇ」
そこの自販機で「さんぴん茶」を買って上へ上がり、
外へ出ると、「海軍慰霊碑」の文字が・・・。

なぜだかそこへ座り込み、般若心経がはじまっておりました。

Mさんはそこで写真を撮ってくれました。

その日はまだそんなもので済みました。

三日目・・・・・。

糸数アブチラガマへ行き、中へ・・・・。
そして、ガマの中のちょっと広い所で平和ガイドの話・・・・。
ところが、です。

足元をふと懐中電灯で照らすと赤線の入ったガラス瓶の破片が・・・・。
そして、気になって看板を見ると、そこに書いてあったのは・・・・・・・
「死体置場」

ふぎゃぁぁぁぁ~~~~~~!!!!!!!!!!!

それからフラつくわ、左足が動かないわで大騒動でした。

それから「ひめゆりの塔」へ行きました。
バスガイドのKさん曰く、「私も戦跡行くと頭痛がする」のだそうです。
献花をし、黙祷の後、資料館の中へ。

先生「20分からお話だからね~、資料館から出ないようにね~」

生徒「は~い」

そして、資料館の中で最も厳しい場所、第4展示室へ・・・・・・。
ガマのジオラマとはいえ、そこにガラスケースに収まった
分厚い過去帖があるとなると・・・・・。
そして、証言員のOさんの話が始まり、祖母の体験談とは又一味違う
恐ろしい地上戦の生々しい話でした。

そして、帰りの飛行機の中で思いました。

「この美しい島でそういう歴史があるということは、
日本人として、広島、長崎についで
覚えておかなければいけないことだなぁ・・・・・・・・・・」と。

最後になりましたが、全戦没者の方々のご冥福をお祈り申し上げます。

追伸
首里城で琉装して撮った写真の中に、アメリカ兵らしい霊が・・・・。


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