投稿者:B-HEARTさん
皆さんは道端に置かれた花束を
見た事がありますか?
過去この場所で何等かの交通事故が
起ったのであろうと想像される方は多いはず。
以前、師匠から
「本当はこういった事(献花)は
霊を留めてしまう事になるから
程々にしないといかんのやけどね。
でないと土地に地縛されたまま、何時まで経っても
浄化出来ねぇからね」
と、言われた事がある。
少なからず親類縁者が事故現場に来る事は
地縛霊となった者に『現世に留まる理由』を
与えているに過ぎない。
例え『霊を弔う』という名目であったとしても…
未練を早々に断ち切り、
自らの浄化意識を与えるが霊の為。
師匠の言葉はそういった意味です。
前置きが長くなりましたが、そろそろ本題と参りましょうか。
佐賀県唐津市には「虹の松原」という松林が有ります。
私は配送の帰りに其処を通っていると、
花束が道路脇に置いてあるのが目に入りました。
其の時は余り気にも留めていなかったのですが、
仕事が終わって家に着く頃、
異変は如実に現れはじめました。
妙に左手が痛い、誰かに
手を握られ続けているような感覚、
幾ら霊視してもあの花束しか出てこないし、
声を掛けても姿すら見せてはくれない。
この者が何を求め憑いて来たのだろうか…?
二日後、体に変調が現れ始め、
私の力では対処出来なくなった為、
師匠にこの霊を見てもらう事になりました。
…登校中、車に轢かれたと少女の霊は語る。
しかし何等かの未練が此の世に在るのか、
成仏をかたくなに拒み続ける、
多分、交通事故現場に地縛した少女は、
家族が再び訪れた際に何等かの
メッセージを伝えようとしたかったのでしょう。
しかし本体を失い霊体となった者が
此の世に留まるのは好ましくない、届かなくなった声を
何年も訴え続けるより、須らく帰るべき場所へ
帰るが霊の為でもある。
師匠は私の左手に憑依した少女に「不動金縛り」を掛け、
強制神上がり(浄化)を行うと無数の花弁が
風に散り往くようにはらはらと消えはじめました。
その時、あれ程霊視しても診えなかった少女の姿が
私の目にもハッキリと映り、その様子を
師匠と一緒に見送る事ができました。
松原に置かれた花束…
あの少女の姿はもう確認出来ない。
だが、遺族の献花は今でも続いている、
少女に対する未練が消えるまで…。