投稿者:yoshiさん
今年の8月に長崎へ行ってまいりました。
そのときのお話です。
長崎は綺麗な街なんですが、やっぱり戦時中の霊が蠢いておりました・・・。
半分ツアーみたいな旅行だったので、楽は楽だったんです。
で、そこで仲良くなったのが同じ愛知出身のHという奴でした。
Hの家の先祖は尾張藩のお抱え茶師だったようです。
で、Hと同じ大学のNというのがいまして、
かなり強烈な霊感を持っているような人間でした。
で、バスが長崎インター下りたあたりから私の体に異変が起きました。
体の左側だけが異様なまでに冷たいのです。
般若心経、不動明王咒を三回ずつ唱えて
何とかしようと思いましたが、どうにもなりません。
バスが長崎市街へ入ったとき、「左側」の意味が即座にわかりました。
浦上天主堂です。
水原秋桜子が「麦秋の 中なるが悲し 聖廃墟」と詠んだあれです。
原爆投下時、堂内には神父一人、信者二十人がいたそうです。
祈りの最中に原爆が投下されたわけです。
長崎は瞬間に地獄と化しました。
浦上天主堂は正面のファサード以外は全て破壊されました。
その後、原爆資料館へ行きました。
相変わらず左半分が寒いままです。
入り口入った瞬間のあの強烈な花の匂いは
ひめゆりを彷彿とさせるものでした。
ひめゆりの場合は分厚い霊帖でしたが、
長崎はレベルが違いました・・・・。
溶けたガラス瓶に白骨化した人間の手の骨が
くっついてるのがありました・・・・・・。
資料館出たところで寒気がやっと落ち着きました。
で、その日の夜です。
8/8の夜十時から8/9の午前五時まで酒を呑んでおりました。
メンバーは自分、H、N、和歌山出身のUさん、大阪出身のOさんの五人で
屋外駐車場で酒盛りをやっておりました。
その最中のことです。
Hと私はどうやら同類のようで、酒を呑むと
そういったものが覚知できるようになるのです。
それで、Hと私はその駐車場のそばのトンネルへ行きました。
で、近くに階段らしきものがあったので
そこでふざけながら写真をとった後
そのトンネルに挨拶をして通り抜けようとしたら
向こうから猛烈な風が吹いてきました。
「やばい!」
直感的に逃げました。
で、山の向こうには焼き場があると直感しました。
で、その後です。
「酔い覚ましにその辺ぶらついてくるわ~」といって、
私とHはまた連れ立って歩いていきました。
そして、ちょっと脇道へ入ったんです。
街頭に照らされたゴミ置き場には黒猫が・・・・。
で、Hが、「あれヤバいとちがうか?」といったのですが、
Hは「もうちょっと進もう」というので、
一緒に歩いていきました。
すると、正面に学校らしき門が見えました。
「おい、あれ何?」とH。
「ちょっと待っとれ、見てくるに」と私は行きました。
そこは中学校だったんですが、校庭に夜の闇より黒いものがいっぱいました。
「やべ!H、逃げるぞ!」一目散に逃げました。
で、その日は観光をしました。
次の日も呑みで朝3時に寝ました。
しかし、驚いたのは最終日の朝でした。
ホテルの前が墓場で、その一番上にトタンっぽいもので
作った小屋が・・・・。
どうもあれは簡易火葬場のようです・・・。
帰りは電車の中で爆睡しておりました。
長崎から特急で二時間、博多から新幹線で6時間・・・。
長崎を出たのが昼二時なのに帰宅したら日が変わって午前一時でした・・・。
とにかく、戦争の爪痕という物は大きく、
軽はずみなことをすると祟られるというのはそういうことなんだなぁ・・・・
というのがわかった気がした長崎旅行でした・・・。