宗樹寺
寺の前にお地蔵様のお堂がある。
史蹟 蒲池鎮漣夫人 外 百八人
塩塚落城殉難之地
塩塚城跡
近世初頭の平城で、本丸の規模は、東西15間(27メートル)
南北14間半(26.1メートル)でした。天正年間(1573~91)、
柳川城主蒲池鎮並(鎮漣)の一族塩塚石見守がこの城を
守りました。
天正9年(1581)5月27日、佐賀城主龍造寺隆信は、
佐賀の与賀で鎮並を謀殺、その勢いで翌28日、
鎮並の弟統安が守る柳川城を攻め落し、さらに6月1日、
統安の二男塩塚鎮貞が守る塩塚城を鷹尾城主田尻鑑種と
共に攻めました。
鎮貞ら一族は、ことごとく討死し、城はついに落ちました。
蒲池氏百八人塚
天正9年(1581)5月28日、蒲池統安が守る柳川城が
落城のとき、鎮並夫人玉鶴姫を始め、子息・侍女ら108人は、
統安の二男蒲池鎮貞が守る塩塚城へ逃れました。
6月1日、塩塚城は、佐賀城主龍造寺隆信と鷹尾城主田尻鑑種に
挟み撃ちにあい、落城しました。
108人は、最初の間、少し東の蒲原に隠れていましたが、
ついに自害または殺害されました。後日、遺骸を
宗樹寺の前に集め、弔ったのが百八人塚です。
玉鶴姫の遺骸は本堂の横に埋葬し、その上に若宮神社を
建立、のち下塩塚の住吉宮に合祀したと伝えられています。
現在は百八人塚にはお地蔵様が建つ。
お地蔵様は穏やかな顔をしていました。
福岡で蒲池氏といえば、松田聖子さんの
先祖を思い浮かべるが、実はこの蒲池家は親戚である。