紅のプー太郎さんレポート
享保(きょうほう)14年(1729年)、第7代将軍徳川家継の頃、
数年来の天候不良や長雨・台風等で不作が続き、
三池藩(福岡県大牟田市)で百姓一揆が起きました。
すぐに鎮圧された模様ですが、数十人単位で隣町の
南関町へ逃げましたけども、肥後藩の協力もあり、
全員連行されて戻ってきました。
後日(9月26日)、大牟田市の汐井川ほとりで、
幕府の処刑の許可が降りて、リーダー格13人が処刑されたそうです。
小学校東側の道沿いに、画像の様な東屋と地蔵さんがあり、
右側の建物は、ミカン農家さんの作業小屋です。
あずま屋の中には、割と適当に地蔵やら
何かの台座が置いてありました。
作業小屋に居た方に聞きましたけども、
地蔵さんの頭部が無いのは、何処にでも居るバカが
金属バットでヘシ折ったそうで、
なんともはや・・・・・(´д`|||)
右側にある蓮の台座?付きには
「法界・・・・読めず」と書いてあり、
たぶん仏教関連用語です。
法界萬霊ですね。
真ん中には「祥?渡泉座?」と掘ってあり・・・・
あと管理人通訳お願いします‼m(._.)m
済渡衆生と見えます。
衆生済度のことかもしれませんがその場合は
迷いの苦しみから衆生を救って、悟りの世界に渡し導くこと
とのこと。
もしくは
普渡衆生
ふどしゅじょう
この世に生けるものすべての救済
県道側は、こんな感じで昔は、
こちら側が裏側だったんでしょう?
作業小屋で何かしらやってた人に聞いたんですが、
処刑された場所は北側だったそうなんですね。
日没が迫る中、見つけたのが画像の地蔵さん達で、
同じ構造でした。
右側から順番に・・・・
1868(慶応4)年 とあり江戸時代末期ですね。
一切有情
いっさいうじょう
この世に生けるすべてのもののこと
三界萬霊
さんがいばんれい
すべての先祖、精霊に対する供養の大切さ
ここら辺で終わりますけど、
処刑された方々のだったら、わざわざ分けてあるのも
疑問なんですけどね。
作業小屋に居た方に聞いたんですが、
一族郎党まで処刑されたそうで、この話は場合によるでしょうねぇ?
さて、ここからは管理人より。
たぶん紅のプー太郎さんのレポートとそんなに
時期は違わないかもしれませんね。
こちらが全体です。
よだれかけの数(5体)と台座がおそらく地蔵であったことから
推測するに元は六地蔵あったのではないのでしょうか。
地蔵寺との名前だったので本尊が地蔵尊と考えると納得できます。
よだれかけをちらっと。
利益衆生(世の中の人に恵みを与える)
1859(安政6)年
江戸時代末期ですね。
台座の横に
おそらくは1737(元文2)年 巳歳
一揆の事件後あたりですね。
こちらはしめ縄があり神道系?