宝暦治水碑
ネットの心霊情報で探すと様々出てきますが…
色々ごっちゃになっているようで…
下記で正しいようです。
看板などから要約するとこのようです。
木曽川の河川住民は度重なる水害に遭い、
宝暦3年、幕府は薩摩藩主、島津重年に治水工事を命令。
工事は難航し、作っては流失したり、莫大なお金がかかった。
最終的には80余人の犠牲者と約40万両のお金をかけて完成。
投入した薩摩藩士は600人。
工事を終えて総奉行であった平田靭負は自刃。
前後に自刃する薩摩藩士が数十名いたが、死因は不明とされた。
度重なる工事でしばしば経費を超えた責を負ってと思われる。
こちらが表でしょうか。
碑の裏側には工事で死亡した薩摩藩士の名前がある。
碑のそばに祠が…と思ったらお賽銭箱でした。
付近に石碑が。
現在は公園として整備。
ここで肝試しをすると祟られるとか話がありますが、
やっぱり経緯が経緯ですから…。