首切り地蔵(袈裟斬り地蔵)
旅の身じたくをした上月平左衛門は江戸をめざして
この街道を東へと急いでいました。
平左衛門はこのあたりの大庄屋をしていましたが、
うち続く不作のため重い年貢に苦しんでいる人々の
姿を見るにしのびず何回も藩の役人に年貢を少なくし
人々を救ってもらうよう訴えましたが聞き入れられないので
死を覚悟して幕府の役人に直訴するためでした。
ところがこのことが藩の役人に知れ平左衛門、目的を
達成することなく追ってきた役人によりこの地で
斬り殺されてしまいました。
このありさまを見た根宇野の人々は嘆き悲しみ
霊を慰めるため道ばたに地蔵さんを
たててお祭りしました。ところが幾日もしないうちに
地蔵さんの首がコロリと割れて落ちてしまいました。
村びとはもう一度地蔵さんをつくってお祭りしました。
ところが又、前と同じように首が落ちてしまいました。
ちょうど平左衛門が殺されていた姿と同じではありませんは
二つのお地蔵さんとも袈裟斬りされた姿です。
人々は、お坊三をよんでねんごろにお経をあげてもらい
霊を慰めました。
このようなことから首切り地蔵(袈裟斬り地蔵)と
呼ばれるようになりました。
又、生地の大河内町新野には義人上月平左衛門の
徳をたたえて大きな墓碑がつくられています。
お堂の奥には二体の石仏が。
一体目。
やはり頭は取れている状態。
胴体はしっかりお地蔵様である。
二体目も同じく頭がとれている。
二体とも同じような首の取れ方である。