麻生藩処刑場跡(天狗塚)
麻生藩の処刑場跡。
現在は天狗塚として史跡に残っている。
天狗塚
幕末期に藩の内外に大きな影響を及ぼした
水戸藩天狗・諸生両派の争乱は、麻生地方でも
元治元年(1864)9月、一丁窪・青沼原の激戦や、
天狗の焼き討ちなどの事件を引き起こしている。
幕府の命を受けた麻生藩は、他藩と協力して、
天狗党の拠点であった潮来郷校を攻撃した。
麻生藩は多数の天狗派を逮捕し、これを幕府軍に
引き渡し、或いは、領内で処刑した。
観音様と並んで建つ小祠は「天狗様」とよばれ、
逮捕した天狗党士を処刑した所という。
まずは左側の祠から。
中には石碑があります。
読みにくいところがありますが
元治元子年 九人佛士建立
伍山良道清信士
とあるようです。どうも戒名のような。
左側は土製の不動明王像のようです。
次は右側にいってみます。
赤ん坊を抱いた仏像があります。
観音像でしょうか?
慈母観音、子安地蔵…
看板には観音像の隣に…とあったので観音様ですね。
卒塔婆には
為施餓鬼者 為天狗党天狗党有縁無縁各霊皆…
とありやはり右側の祠が天狗塚であることがわかります。
ということはこの辺りはやはり麻生藩の処刑場。
常設か、一時的だったのかはわかりませんが。
付近には古そうな石仏がありました。