上郷処刑場跡(角内御仕置場)
江戸時代、鬼平犯科帳で有名な火付盗賊改の長谷川平蔵が
石川島(現在の佃島)に作った人足寄場をここ上郷でも作った。
この人足寄場では土地開墾・農業を罪人・無宿人に教えていた。
この人足寄場を怠けた者は百笞(ひゃくたたき)の刑に処したという。
その百たたきの刑をした場所に百笞地蔵が建立されているという。
百笞地蔵は今でも祠にひっそりと残っている。
写真右側の胴体だけになっているのが百笞地蔵である。
さらにこの人足寄場を脱走すると二回目までは
入墨(罪人である印の入れ墨を入れる)だが、
三回逃げ出すと必ず首斬となった。
この百笞地蔵から少し離れた場所に首斬り場がある。
田園地帯の真ん中にぽつんと残っている
首斬り場供養の為のヒゲ題目。
昭和に入って傾いていたこの慰霊碑を近隣住民が
昭和55年にまっすぐに直したという。
南無妙法蓮華経のヒゲ題目。
周辺には何も残っていない。
ここでは茨城県で反乱を起こした水戸天狗党の残党の処刑も
行われたと言われている(福井県でほとんどされているはずだが)