五個地蔵(ごかじぞう)
江戸時代には天領中野陣屋の刑場がありました。
この地蔵尊は、安永6年(1777)の
中野騒動(百姓一揆)のさい、
責任者として処刑された人々の亡霊救済のため、
安政3年(1855)に建立されたものです。
明治3年(1870)の中野騒動のときも、
ここで処刑がおこなわれました。
この付近から五輪塔が出土しているので、
古くは墓地であったのかもしれません。
五個地蔵堂
内部には大人一人くらいの大きさの地蔵尊があった。
80年経ってから地蔵尊を建立したのは
どんな理由だったのでしょうか…。
ちなみに明治時代の中野騒動の時には
この地蔵尊はあったはずなので…
地蔵堂のある場所の敷地内で処刑を行った…
ということになるでしょうか。