今村処刑場跡

心霊スポット

今村処刑場跡
今村処刑場跡
今村刑場跡
この地一帯を今村と言います。今村刑場の名は、
島原城を築城した松倉重政のころから文献などに
残っていますが、そこでは重罪人を処刑したほか、
徳川幕府のキリシタン禁制による弾圧で、イタリア人宣教師
ピエトロ・パウロ・ナバルロの火刑をはじめ
多くの信徒が処刑されています。
しかしその今村は寛政4年(1792)眉山の大崩壊で
全く埋没してしまいました。
そのためこの刑場は、その後、あらたに設置され
明治3年まで使用されたところであります。
天保15年(1844)藩医市川泰朴らが他藩に先がけて、
医学発展のため腑分けを行ったところでもあります。
その解剖図は市の文化財として島原城資料館に展示しています。

今村処刑場跡2
住宅街のなかにぽつんと現れる草木の地。
木や花も植えてあるがどこか雰囲気が違う。

今村処刑場跡3
供養塔の文字。
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今村処刑場跡4
南無阿弥陀仏の石碑

長崎県心霊スポット

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