岸岳城跡
別名「鬼子岳城」
かつて豊臣秀吉に滅ぼされた
北波多一族の城があった。
上松浦党の棟領、
波多氏17代(450年間)の
盛衰を極めた岸岳城跡。
鎌倉時代の築城と伝えられています。
北波多村の東端、相知町との境界をなす
標高約300mの峻峰を「岸岳」といいます。
城跡は延々1kmにもわたって築かれており、
本丸・二の丸・三の丸・三左衛門殿丸・大手門
などの伝承地が存在します。
壮大な石垣は戦国時代に築かれたものですが、
中世山城の面影をも残す重要な城郭遺跡です。
豊臣秀吉の命により波多氏が滅びて400余年、
荒城に立ち往時を偲べば、
源平合戦以降その雄名をはせた
松浦党の活躍が、彷彿として
脳裏によみがえります。
平成10年3月 北波多村教育委員会
いまや石垣を残すのみ
井戸。
覗くと祟りがあるという…
本丸跡
北波多一族の祟りを岸岳末孫(きしたけばっそん)と呼び、
地元では恐れられている。
怖い話「岸岳末孫と…おまけ」参照