東京都新島村にある謎の榎
謎の榎と墓
新島は、寛文8年(1668)から明治4年(1871)
までは流刑の地であった。
流人が流刑地で再犯し、しかも重罪で
あった場合、死刑が執行される。
寛政10年11月16日、流人清右衛門が処刑されるとき、
清右衛門は、自分の無実を叫んで、
その証として法燈塚に榎を生やすと訴えて死んでいった。
はたして、間もなくこの法燈塚に榎が生えてきたので、
その霊を慰めて墓石が建てられたと伝えられている。
墓石には妙法啓岸霊位ときざまれている。
この流人が宿としていた本村北村の農家は、
この流人を「榎のおじい」と呼び、現在も
仏事、法要のときには香華を手向け続けている。
南無妙法蓮華経のヒゲ題目
法燈塚と墓
真ん中にあるのが榎である。
全景。こちらだとはっきりわかる。
「謎の榎」の「謎」には人が人を裁く難しさの意味も
込められているという。