東京都新島村にある新島流人牢屋跡。
流人牢屋跡
伊豆七島は、かつて流人の地であった。
新島には、記録によると、1333人の流人が流されている。
流人が島で重罪を犯した場合、牢屋に入れ、
江戸代官所に届け出て、判決が出るまでの間、
牢番によって監視された。
古文書から推測すると、牢は、間口2間(約3.6メートル)、
奥行2間の八畳程の広さがあり、
高さは6尺5寸(約1.97メートル)で
内部の土間には、足枷(あしかせ)用の丸太があった。
いよいよ処刑される日は、門前に生えている
柳の木の下へ筵(むしろ)を敷き、
その上に受刑者を座らせて酒と団子を与えた。
これが知人との最後の別れであった。
受刑者は、刑場への道の途中で立ち止まり、
柳の辺りを振り返って見たという。誰がいうこともなく、
この柳を「見返り柳」と、言うようになったが、
現在の木は台風で幹が折れたために、
新たに芽吹いたものである。
とある。
新島流人牢屋跡は民家のすぐ前です…。
新島流人牢屋跡の供養塔なのか墓石なのか。
江戸時代牢屋では獄死する受刑者も多かった。
この新島牢屋もそうであったという。
この牢屋はほぼ流人専用であった。