漁民義人塚
享保2年(1717)、放生津の漁民400人は、
多年にわたる放生津魚問屋の不当搾取に
激憤して、パンドリ(蓑)姿で金沢の
御公事場奉行所に直訴に及んだ。
藩は、魚場制度を改善し、漁民の窮状を救ったが、
放生津猟師総代佐賀野屋九右ヱ門、
嵐や四郎兵ヱは責任ととらされて、
享保3年2月6日、この地ではね首の刑に処せられた。
ひとびとは、長くこの二人を「世直し義人」としてあがめ、
厚く弔ったのがこの塚(墓碑)である。
平成18年2月には、全国の漁村に残る歴史や
文化的な価値が高い施設として水産庁の
「未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選」に選ばれた
現在は住宅街の中にある。
案内板もあり、整備されているようだ。
囲いのある塚に二基の石碑が並ぶ。
達筆な南無阿弥陀佛の念仏碑
釈院
西入信士
當榮信士
各霊位