文化財(史跡)押切刑場跡
江戸時代の甲斐の刑場は石和と市川の押切だけであった
当時代官所は5丁目に、獄舎は1丁目にあり、刑の執行日に
なると縄をつけた罪人が刑場につれてこられた。言伝によると
刑場は芦川の流れの南側にあったといわれている。この供養塔は、
安政3年(1856)に建てられたので堤防改修により
位置が変わっている。現在危険なため横に寝かせてある。
(看板より抜粋)
寝かせた供養碑、南無妙法蓮華経のヒゲ題目。
建っていたら結構な大きさなのではないだろうか…
押切刑場の石碑
それにしてもここ結構探してしまいました。
管轄は市川代官所
寛政元年(1789)死罪第一号が執行されている。
罪人は百姓、関松を含む4人組の盗賊であった。
当地には前例がないので、処刑方法その他を
市川代官、平岡彦兵衛の名で公事方勘定奉行、
根岸肥前守鎮衛にあてて伺いをたてた記録が残っている。
なお、ここでの磔第一号は文政7年(1824)の正月に
執行された法師倉久蔵という男であった。
「八州廻りと代官」より