-怨霊伝説-
花は咲いても実をつけない梅
兜梅
熊本県天草郡本渡市
延慶寺
——————————————
県指定天然記念物兜梅由来 延慶寺苔生園
天正17年(1589)11月25日、加藤・小西の連合軍に十重二十重と
取り囲まれた本戸城は、はや落城の寸前かと見えた。
その時、城門さっと押開いて躍り出た、230騎の騎馬武者の一隊があった。
その先頭にたっているのは、まぎれもなく豪男無双を以って鳴り響いた
木山弾正その人である。
弾正の率いる騎馬武者の一団は、敵陣の中に切り込み当るを幸い薙倒した。
とある梅の木の側に寄った時、梅の小枝に兜の錣をからませ、
身動きとれず遂に討死にした。
首級を挙げて見ると、弾正ではなく、緑の黒髪を流した弾正の
奥方お京の方であったと云う。
つき従う騎馬武者も皆戦死したが、何れもうら若い娘子軍であった。
数日前、志岐の佛木坂の戦で敵将加藤清正との一騎討ちに敗れた
夫の弔い合戦にと、夫の兜を身につけ、戦国武将の妻の心意気を
示したものである。
木山弾正は肥後木山の城主で、本戸城主天草種元とは姻戚関係にあるため、
木山城落城の後本戸城に合流したと云われる。
——————————————
——————————————
天然記念物 兜梅 昭和57年8月28日指定
一本の梅の木から縦横に枝が延び、枝張りは東西約11メートル、
南北約6メートルである。
主幹の樹高は約3メートル、根回りは約2メートルあり、
樹齢約500年といわれる。
主幹は朽ちているが、縦横に走る枝がつぎつぎと先に延びているため、
臥龍梅とも称されている。
一時、枯死寸前であったが、その後の手入れにより、今では見事な
一重の白い花を咲かせる。
兜梅と称されるようになったのは、天正の天草合戦(天正17年、1589)のとき、
本戸城で小西行長、加藤清正連合軍と戦った天草勢の中で、
奮戦した騎馬武者の姿をした婦人(加藤清正に討ち取られた木山弾正の妻お京の方)
の兜の錣がこの梅の枝にからまり、身動きできず斬られたことに由来するという。
熊本県教育委員会
——————————————
兜梅は花は咲かすが、実はつけないという。
お京の方が死ぬ前に梅の木に実をつけぬよう呪ったとされている。