仙台市の住宅街の中に縛り地蔵尊という場所がある。
ここがかつての仙台藩の処刑場である。
「米ヶ袋」縛り地蔵尊由来
伊達騒動の最中、奸物伊達兵部宗勝を討たんとして
捕えられた烈士伊東七十郎重孝は、
寛文8年(1668年)4月28日米ヶ袋の刑場で
斬罪に處(しょ)せられたが、その土壇場まで
堂々と振る舞い「3年以内に兵部殿を亡きものに
して見せる」と云い残して予告通り仰向けに
仆(たお)れたといいます。
果して、兵部一派は三年後の寛文11年に悪行が
暴かれ悉(ことごと)く亡びてしまったのです。
この地蔵尊は、正義のために非業の死を遂げた
七十郎の供養のために建てられたと伝えられており
”人間のあらゆる苦しみ悩みを取り除いてくれる”
と信じられ、願かけに縄で縛る習わしから
縛り地蔵尊と云われます。
この縄は毎年1回だけ縁日に解かれます。
お堂の中には縛られた地蔵が一体。
これが縛り地蔵尊である。
近くには小さな地蔵が…
この後処刑場は「七北田処刑場跡」へ移った。