大刀洗の池
大刀洗の池は、この南10メートル位のところにあった。昔はこのあたり
一帯は藪におおわれ、約50平方メートルほどの池であった。徳川家康の
正室は、今川義元の家臣関口刑部少輔義慶の娘で、岡崎の築山にちなんで
築山御前と呼ばれたが、政略の犠牲となって、岡崎城から
浜松城に向かう途中、佐鳴湖岸小藪で家康の家臣に殺害された。
時に天正7年(1579)8月29日、築山御前38才であった。
このときの血刀をこの池で洗ったので、その水が涸れたが、
延宝6年(1678)百年忌の法要が行われてから清水にもどったという。
築山御前は西来院に葬られた。この谷一帯を御前谷という。
史蹟 大刀洗池
昭和33年頃の「史蹟午前谷大刀洗池」の石碑周辺の写真。
大刀洗池は、石碑左奥の一段下がったところにあったと
伝えられている。
この辺りに昔、池があったのでしょうか?
ちなみにこの史蹟、現在は病院の駐車場になっています。