七兵衛地蔵尊

七兵衛地蔵尊 心霊スポット
七兵衛地蔵尊

七兵衛地蔵尊
東京都にある七兵衛地蔵尊
何の変哲もないような地蔵堂に見えますが…
七兵衛地蔵尊2
七兵衛地蔵尊
元文年間の頃青梅村裏宿に七兵衛といふ
精農がいました。義侠心に厚く常日頃
貧者に恵むことを無一の楽しみとしていました
又彼はまれにみる健脚で(3メートル)
1丈の晒木綿を地にもつけづに風のように
走り一夜のうちに五十里を往復するほどでした
当時うち続く飢饉に村人の窮えを見るに
忍びず自分の財産を投げうって救済に
奔走しました。そしてふとしたことから
よこしまの道に足を踏み入れ遠く甲斐・相模・
秩父方面にまで出かけ働きその夜の中に
引き返しこの物品を村内貧者の軒先に置き去って
朝になることには平然と畑の仕事をしていました。
最後処刑されるに及んで「自分は甘んじて
これを受けるが妻子にまで及ぶなら怨霊となって
永久に地元を災いする」と言い残しました。
その後時世は移り変わって七兵衛さんの所有した
屋敷や田畑はどうしたことか作物は実らぬ
ばかりか不吉なことばかり生じて所有者も
持て余すといふ次第であります。
隅々大正5年頃移転・新築した西多摩郡役所敷地も
七兵衛さんの所有地であったとかで、当時は
度かさなる不吉事件が生じて困りぬいた揚句
地元関係者有志で供養して地蔵尊を奉祀したのが
現在のものであります。
以来、この建物内はもとよりこの付近町内にも
何等不吉事も起らず地元の繁栄にも貴重な
御守護神として崇敬されて今日に及んでいます。
地蔵尊のご佛体は大正6年頃当時の役所吏員
吉沢義忠氏の丹精された彫刻で、当時は宿直室に
奉安して朝夕礼拝供養していたが所員となりの
有志が協力して現在のお堂を建立したものであります。
真贋のほどはつまびらかではありませんが市内
千々瀬宗建寺の過去帳には
次のような記事と墓石があります。
5月3日 法主 祖幢信士 年号不知 裏宿の人也
俗名 七兵衛
「この地蔵尊さんは殊に足・腰の病、旅道中、交通安全に
御利益深いところから平素も参拝祈願する人も多い
伝説によるとこの青梅の地字裏宿の住人精農の七兵衛さんを
慰霊のため祭礼したものであるが七兵衛さんについての
記録文書もなく従って確証もないが古老の語り草によると
右のとおりであります。」
七兵衛地蔵尊3
七兵衛地蔵尊内部です。
中央に小さな木彫りの地蔵尊があります。
七兵衛地蔵尊4
ズームしました。
七兵衛地蔵尊5
地蔵尊の傍らに位牌があります。
法山祖幢信士位
5月3日
年号不詳
とあります。

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