海御前の墓

心霊スポット

海御前の墓
水天宮
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寿永4年(1185)、栄華を誇った平家も壇ノ浦の合戦で滅びました。
入水した平家の武士たちは平家蟹となり、平家の女官たちは河童に化した
という伝説が残されています。
平家の勇将、能登守教経の奥方「海御前」は、豪気な人で幼い安徳帝の
最期を見届けたのち入水しました。
大積の乙女山の浜辺に流れ着いた遺体は、村人により
老松(枯死し今は猿田彦の石塚がある)の下にねんごろに葬られ、
人々はこの墓を御前様の碑と呼ぶようになりました。
そして、海御前はいつの頃からか河童の総帥として河童族を支配するようになりました。
大積には河童伝説が残されており、その一つに「河童の証文岩」の話があります。
大積の殿様の馬を乙女川(現在の奥畑川)で洗っていると、
河童が現れ、馬を川に引き込もうとしました。
これを家来に見つかり捕らえられた河童は、かたわらの石を指して、
「この岩が腐るまで領地内ではいたずらはしません」と
殿様に許しを乞うたといいます。
証文岩は、ここから約100メートル離れた奥畑川のそばにあります。
北九州市教育委員会
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海御前の墓2
境内に入るとすぐにあった。
これが海御前(あまごぜ)の墓である。
海御前の墓3
隣にあった碑、「海御前様」
海御前の墓4
向かいには河童の石像があった。

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