鎖塚
北海道の小高い丘の上にある塚。
道路沿いにある。
鎖塚の区域
明治24年(1891)、網走・上川間に中央道路が開削された。
この工事には約1500人もの釧路集治監の囚人が使役されたが、
4月から12月という短期間に約163kmもの距離を開削するという
突貫的な難工事のため200人以上の囚人が倒れて亡くなった。
この鎖塚の土饅頭はそのとき亡くなった囚人の墓標の
ひとつとされている。ただし地形の変化等があり、
その形状については現在よりもかなり低かったと考えられる。
端野町の開拓は明治30年(1897)の屯田兵の入地により、
本格的に始まったが、その入地に至る道路はこの工事に
よって作られた。
国道開削殉難者之墓鎖塚
鎖塚観音像地蔵尊
真ん中に観音様が安置されています。
付近に鎖塚が3基あった。
この度はお参り下さいまして有難うございます。
この輪廻車をまわして六道に迷う犠牲者の
ご冥福をお祈りください。
明治24年北海道長官永山武四郎氏は網走と旭川を結ぶ
国道解説の急を感じ網走空知雨監獄の囚人凡そ千人を動員し
5月上北両端より着工12月完成の突貫工事をした
此の道路が北見の開発に貢献した事は言うまでもないが
工事の際死亡し路傍に埋められた墓標なき囚人は
300に余ると云う。
此の三基も亦彼等を縛った鎖だけがその上に残されてあり
是を鎖塚と呼ぶようになった。
此処に供養碑を建て尊くも哀れな御霊を永く弔う