平福藩処刑場跡。
佐用町平福に処刑場がある。
この六地蔵の辺りがそうである。
正式には松原処刑場跡。
ここ金倉橋西の一帯は、平福町並みの南端に位置し
松原と呼ばれており、江戸時代、平福藩刑場跡として
伝えられていることから、この六地蔵は、その供養のために
建てられたと考えることもできる。
この路傍に立つ六地蔵は、所々欠けているが、
気品のある美しさを漂わせる丸彫りの立像別石地蔵である。
同所に元禄9年(1696)に建てられた南無阿弥陀仏の
念仏碑があることから、同時期のものと想像される。
六地蔵一体目
六地蔵二体目
顔は丸石になってますね。
六地蔵三体目
顔が削げ落ちています。
六地蔵四体目
顔の部分が少し薄くなってきています。
六地蔵五体目
六地蔵六体目
南無阿弥陀佛の念佛碑
元禄第九丙子
背後には古いお墓が並ぶ。
ほとんどがすでに無縁なのではないだろうか。
この地域の領主は松平氏。
江戸に駐在し、代官を置いてこの地域を支配させていた。
元文4年(1739)この地で起こった年貢減免要求の百姓一揆による
首謀者たちもここで処刑されている。
当日、車を降りたらなんとここ平福は気温5℃。
どおりで寒いと…霧まで出てるし。