紅のプー太郎氏レポート
昔、中国の某河川(何処かは諸説あり)から
河童の一族が渡ってきて、この地に上陸したそうです。
数世代をへて、総数9000頭(人?)余りになり、
やりたい放題悪戯や農作物をあらしてましたが、
ある日、とある少年に悪戯をして溺れさせて、
死亡させてしまいました。
運悪く、その少年は加藤清正公が大変気に入ってた人で、
激怒しまくった清正公は、河童の天敵である猿を
九州中からかき集めて、攻めこんだんですね。
これには河童も降参で一部を残して、
他の土地への移住を約束させられ、各地へ散々になり、
河童伝説へと繋がっていったみたいです。
だいたいこの石碑のとこいらへんに上陸したみたいで、
半分くらいは読めなかったんですけど、
上の説明みたいな事を書いてあると思います。。
隣は、今どきの説明板(右半分)・・・・
左半分ですだ
町側の一段下がった所には、2mオーバーの河童像があり、
右手には盃を持って、一杯引っかけておりやす
以前は、ロープが左手から肩を通って
背中の甲羅の先っちょに、けっこう大きめな
魚がブラ下がってたんですけど、何故か撤去!?
男は背中で語るって、1人じゃ~寂しげなんで、
もう1体追加で仲間を作ってくれませんかねぇ?
八代市の皆さん!?
ここら辺で終わりますけど、場所的には
県道42号線と前川が交わる橋の所にあり、
諸説あり真偽の程は不明です。
けっこう八代市内には河童の石像がアッチコッチにあり、
探して回るのも楽しそうですよ?