白川沿いにある地蔵堂がある。
「団子地蔵」と「供養塔」
ここの地蔵さんを人々は「だご地蔵」と言う。
左の座した大きな石の地蔵さんが団子地蔵尊で、
右の舟型光背のある立った地蔵さんが放牛地蔵尊である。
長六橋の少し下流の左の岸に刑場があった。
城下町を引き廻された重罪人は、この地蔵さんの横の
仮牢で一休みして刑場に向う時この地蔵さんに
親族縁者が江戸時代の砂糖が高価な時、甘い団子を造り、
この地蔵さんにお供えし、役人が最後の食を与えると、
目と目で今生の別れを惜しみ刑場に引立てられて行く
罪人を見送くる縁者は両手を合はせ涙で袖を濡らした事でしょう。
団子地蔵堂の東にある石に南無妙法蓮華経と刻んである塔が
供養塔である。打首や、火あぶりや槍で突かれて死刑になった
罪人も死ねば只の人間である。
ここ古町の人々が寄付を集めてこの供養塔を献立し罪人の霊を慰めた。
●放牛地蔵 享保12年7月吉日 20体目
●供養塔 文化3年丙寅2月16日(1807)
●団子地蔵 文政2年7月吉日(1819)
そして先ほどの説明板にあった供養塔がこれである。
南無妙法蓮華経のヒゲ題目で供養塔。
長六橋がこれである。
白川に架かっている。
さらに下流へ進むと…。
西岸寺がある。
ここ西岸寺は処刑場があった時代、
川越しに罪人に引導を渡していたという。
ということは処刑場はこの西岸寺の白川の対岸。
現在は施設が建っている。
熊本藩の処刑場、「井出ン口処刑場」と呼ばれていた。
明治時代初期まで使用されていた。
処刑場跡に供養の地蔵があったそうだが、
太平洋戦争で火災に遭い焼失している。