三経塚

心霊スポット


三経塚
かくれキリシタンと蚕飼山
こちらの裏手の山にかつてキリシタンが殺された切捨場霊場があるが
遺体は三つの経塚に葬られた。

綱木沢の海無沢、朴の沢、老の沢(経の森)に鉱山があって、
大籠、保呂羽方面から多くのキリシタン並びに親族達が来て働いていた。
享保年間のキリシタン弾圧の時召しとらえ、はりつけにされ
処刑された。その遺体が、40人ずつお経と共に埋められた。
これが三経塚と呼ばれていたが、朴の沢、老の沢の塚の松は
切られ、塚は掘られ、原形をとどめているのは
この海無沢の塚一つとなっている。
三経塚2
山道を進みます。
三経塚3
途中開けた場所に出ました。

瞑想の丘(キリシタンの里)
伊達正宗公も最初は、鉄の生産の増大を図るために
?屋(どうや)で働く切支丹を保護しました。
しかし元和6年(1620)反転して切支丹を厳しく
取り締まるようになり、信者は隠れながら信仰するように
なりました。
室の沢?屋(どうや)で働いていた隠れ切支丹120名が
密告され、享保5年(1720)頃捕えられ、此の丘に集められ
切捨場霊場で前の切支丹が、両手両足に五寸釘を刺されながら
悶え苦しみながら死んでいく様を、嫌と言うほど見せつけられても
誰一人転ぶ切支丹は無く、残酷な処刑で120名殉教しました。
処刑直前切支丹は此の丘で、何を考え思っていた事でしょう。
「目を閉じて静かに考える」と殉教者の無念と憤怒の声が
風の音と共に聞こえてくる思いがします。
里人は此の丘を「瞑想の丘」と呼び伝えています。
三経塚4
しばらくすると少しだけ幹の残った松の木が
ありました。
三経塚5
松の木の裏側に木の看板が。
「海無沢の三経塚」
三経塚6
松の木の元がこんもりとした塚になっている。

海無沢三経塚(かいなしさわさんきょうづか)
ここ綱木沢は、古くから砂鉄が豊富で、
?屋(どうや)と称する製鉄場があり、
多くの隠れ切支丹が集まり、製鉄に従事していた。
仙台藩領の切支丹弾圧は、寛永16年から17年(1639~1640)
大籠での宗徒処刑で終息したものと考えられていたが、
昭和29年になり綱木岩木(城)屋敷で発見された
「老聞並びに伝説記」により、享保年間に?屋(どうや)で
働いていた隠れ切支丹120名が切捨場で処刑されたことが
判明した。そしてここから近い海無沢、西側の朴ノ沢と
老ノ沢での三ヵ所に40人ずつお経と共に埋められたという。
朴ノ沢、老ノ沢の二ヶ所は掘り返されてあり、当時の
原形のまま遺っているのは、ここ海無沢だけである。
三経塚7
松の木の根元にはマリア像と十字架。
三経塚8
塚には切捨場霊場同様に川石が並べられていた。
ここに四十名の骨が眠っていると…


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