山田教会
生月では観光地となっている由緒ある教会。
この時間帯は人も全くいないかったようです。
この教会の敷地内に…
記念碑が庭にある。
聖トマス西六左衛門神父
聖トマス西神父は1590年ガスパル西玄可の次男として
この生月に生まれた。父ガスパル西は平戸領主松浦隆信の重臣、
籠手田氏の代官として山田、舘の浜を支配していた。
しかし、法院鎮信のキリシタン弾圧によって、1609年妻
長男とともに生月で最初の殉教者となった。1620年頭
トマス西神父は修道者となるためにマニラに渡り。
ドミニコ会のロザリオ修道院に入った。1625年修道誓願を立て
修道名をトマス・デ・サン・ハシントと言った。
その後聖トマス大学で神学を学び、1626年ドミニコ会最初の
日本人司祭に叙階された。1629年厳しい迫害のなかの
永作に上陸し、日本の各地で迫害に苦しむ信者に
秘跡を授けるなど献身した。
しかし、1634年8月病気の同僚神父の看護にあたっていた際
長崎で捕えられた。役人の棄教の脅しにも耳をかさず、
再三の水責めや竹串を指の爪の間に押しこまれるなどの
拷問にも屈しなかった。
1634年11月11日、西坂の丘で何日もの穴吊りの刑を受けて
44歳の生涯を終えた。まさに信仰の証となったトマス西神父を
教皇ヨハネ・パウロ2世は1981年フィリピンで他の15人の
殉教者たちとともに列福した。1987年同教皇は
この殉教者たつと「聖トマス西と他の15殉教者」として
日本人では125年ぶりにローマで列聖した。
教会は毎年9月28日をこの聖人たちの祝日と定めている。
1988年9月28日
生月カトリック教会
京都の聖ラザロ
聖トマス
西六左衛門
聖トマス西
列聖記念碑
生月信者発見90年記念
1970年12月11日
こちらもキリシタン史跡である。
山田教会の動画はこちら