臼内切(うすねぎり)は人里から少し離れた
山間にありました。
実は以前から話は聞いていたものの、場所がわからず
今回もあきらめかけた時でした。
この臼内切の草刈りを教育委員会に頼まれてやっている男性を
紹介していただき、場所や塚など案内していただきました。
やっぱり非常にわかりにくい場所にありました。
江戸時代、ここにはキリシタンが12家族
隠れ住んでいました。
幕府からの禁教令もあり、当時のキリスト教徒は
信仰を守るためにはそうせざるを得なかったのです。
そして密告や噂などからそういったキリシタンは発見され、
処刑や改宗など厳しい状況に置かれました。
ここもその一つの地域です。
臼内切 切支丹伝説の地
この付近一帯を臼内切といいます
徳川幕府の永年に渡る切支丹弾圧の
目をくぐりながら 密かにこの辺りで
隠れ住んだ人達がいました
のちに切支丹信者である事が発覚し
一夜にして全員(およそ12家族)がこの場
この場所で 打ち首の刑に処せられた
跡として伝えられています
塚の数は全部で12
千人塚ともいわれております
草むらで全然わかりませんが…
ここが12塚のある場所です。
歩くとこんもりした場所が数か所あるのがわかります。
案内してくださる方もずんずん進んでいました。
一番大きな塚がこのあたりだったとか。
家屋があった場所はこの塚の場所ではなく
少し離れた場所だったようです。
そのあたりからは茶碗などの器も発見されたといいます。
江戸時代、一晩でキリシタンの隠れ村を全滅させたという話は
全国各地に残っています。
島原の乱の後、島原を治めていた島原藩主の松倉勝家は
責任を取らされ、斬首にされました。
これ以降、キリシタンへの弾圧はひどくなり、
こういった集団処刑が増えていきました。
江戸時代の出来事ですし、もしかしたら噂に基づいた
捜査・裁きがあったかもしれません。
怖い話「臼内切にて」
怖い話「臼内切」